• 地図と交通
  • 住職日記
  • Facebook

西方寺について

住職日記

国学院どらやき 米どらやき・季節のフルどら・あんみつどらやき

どれも美味しかった。

西方寺のオンライン法事について国学院大学のI先生より問い合わせがあり

そのお礼としてどら焼きが送られてきました。

皮から餡まですべて手作りのどら焼き。

皮に米紛が練りこまれた軽食感。

季節の皮 秋はキウイ・ゆずの餡、ふわふわの食感

あんみつが 入って一口ごとに食感が変わる

色々などら焼きを食べていましたが本当においしかった。

コロナ禍の中で宗教界においてどのようにオンラインが進んでいくのか

研究されていました。東京の築地本願寺ではオンライン法要が進んでいるようですが。

全国的にはまだまだのことです。企業がオンラインを推進していますが

今後 宗教界ではどのようになっていくのでしょうか。

 


自宅での家族葬儀

喪主の長男さんが出張にてアメリカ。

少人数の家族さんによってお母さんの葬儀が執り行われました。

思い出深い自宅。ゆったりとお母さんの思い出を語り合う。

孫さんがおばあちゃんの色々な懐かしい思い出を振り返る。

遠く出張で葬儀に参列できなかった息子さんは

奥さんのスマホのラインビデオを通じて式に参列

息子さんはスマホを通じてお母さんに「ありがとう」のお別れの言葉

息子さんはスマホの画面からお母さんに向かって最後のお別れ、

自宅での家族葬儀だからこそ外国からでもお母さんとのお別れが

できたのではないでしょうか。

厳粛であり、心温まる葬儀式

南無阿弥陀仏    合掌

 


2021年11月9日

冬野先生法話 「コロナ禍の中でいかに生きるべきか」

「何よりも 去年・今年老少男女おほくの人々の、死にあひて

候ふらんことこそ、あわれに候へ。ただし生死無常の

ことわり、詳しく如来の説きおかせおはしまして候ふう

へは 驚きおぼしめすべからず候ふ・・・

善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひと

疑いなければ正定聚に住することにて候ふなり」

文応元年(1260年)11月13日 善信(親鸞)八十八歳

親鸞聖人の御消息 『末燈鈔』より

 

全国的な大飢饉と悪疫に襲われ、そのため多くの死者がでた。

生死無常のことわり 「生まれたら者は必ず死す」の道理

親鸞存命中に年号を変えることが数十回繰り返されている。

それほど当時は大飢饉や悪疫に何度ともなく襲われていた。

それを現代と考えると昔と同じような社会不安である。

それをどのように考えていけばいいのか。

「生は当たり前、死はまさか」はそうだろうか。今日の一日の意味

「生はまさか、死は必然」とも考えられる。

生きるとは偶然である。私にかかわる命がある。

今日の一日の意味を考えることが大事

死と向き合っている人にとっては生は偶然、死は当たり前ではないか。

自分の命をどう思っていくのか、 が今大事である。

コロナの中で自分の命をどのように大切にするのか

大勢のお参りありがとうございました。