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西方寺について

住職日記

5月27日夕方 坊守の友人よりメールが届き、西方寺さんが新聞に掲載されていると連絡がきました。 私の父が終戦後 シベリア・ウクライナに抑留され、強制労働に従事。

3年後 無事に帰国。ウクライナでの厳しい寒さと飢え、過酷な強制労働の実態を書物にして20年前に出版した。ウクライナでの悲惨な強制労働があったが、一方、大惨事に遭いながら、ウクライナの温かい献身的な看護によって大怪我から回復して、無事に帰国を果たした。また数年間の日本人のまじめな強制労働によってウクライナの町が復興した。その町がまた 今 ロシアによって破壊されようとしている。現在のウクライナの復興な日本やドイツ人の強制労働によって、道路・公共施設など町が復興した。

ウクライナの悲劇を見るたびにいたたまれない気持ちになる。ウクライナ人の温かさと町の姿を思い出し心が痛む。父は辛かったウクライナ抑留生活を書いた。

当時・父の持ち物は夏の軍服と水筒・飯盒のみであった。記録を書き留めるものは何もなかった。27歳から31歳までの出来事のしっかりと覚えて83歳にて手記を書いた。すごいものである。何回ともなく死の淵があったが、無事に生還した。過酷で悲惨な出来事を後世に伝えることが後の平和への願いと思ったのだろう。

「命めぐまれ、今をいきる。シベリア・ウクライナ抑留記」

本の残部がありますので、ご希望の方はご連絡ください。

「春のお彼岸」と「アミターセミナー」でウクライナ問題をお話し、その時の参加費を救援募金としてユニセフ協会に募金したことが、新聞社記者に届き掲載。記者の〇〇さん有難うございました。

詳しくは「産経新聞 ウクライナ抑留」にて検索していただければさらに詳しく記事が掲載されています。


第17回アミータ・セミナーが3年ぶりの開催されました。

コロナ禍の中、十分な予防措置をしながら、前住職のシベリア・ウクライナ抑留記の体験談をもとに講演会とギター演奏会を開催しました。天候の不安定にもかかわらず、ご参加していただいた皆様有難うございました。シベリア抑留の一番西側がウクライナであったことはあまり知られていません。約2万人がウクライナに抑留されたと聞いています。そこでの強制労働によって戦争で荒廃したウクライナ復興に大きく貢献したことはあまり知られていません。

厳しい寒さや労働もありましたが、一方では温かいウクライナ人との交流も一部あったと聞いています。抑留中の過酷な労働などから戦争の辛い過去と今のウクライナ情勢がかぶさっていたように思います。前住職(父)が書き残した「シベリア・ウクライナ抑留記」をもとに平和への思いを語り、後半は川崎さんのギター演奏で「はなみずき」「はな」などの歌を演奏していただき、久しぶりに心和む時を共にしていただきました。有難うございました。 合掌

 


大英博物館よりミイラが来日しました。

CTスキャンを用いた映像解析によりミイラの謎を解き明かし。古代エジプト人の生活や文化が紹介されていました。ミイラの年齢・性別・社会的立場や暮らしていた時代もさまざまです。彼らはどのような人生を送ったのち、ミイラとしてのこったのか。

CTデータをもとに食・健康・音楽・家族などのテーマが展示され、6体のミイラの物語が展開されています。紀元前3000年前の古代エジプト人の実態が解明されました。

6体ともほぼ年齢は35から45、身分の高い人物。パンの成分が悪く歯を痛めていた。

愛する家族を大切にしていた。子供の教育、文字や数字の学習。死後の世界に対する思い

死者の書 死後の世界を描いた書物

このような髪形は「かつら」である

神官は一日に6回入浴し、頭は剃っていた。

人骨からの人物肖像画である

人物肖像画である

世紀の発見 ナポレオンが発見したロゼッタストーン

この発見によりエジプトの象形文字の解読がなされた。

ナイル川の地形である。エジプトはナイルの賜物で

あると言われているようにナイル川に沿って文化が発達した

ツタンカーメンの黄金のマスクである。王の権力の象徴である

3歳前後の子供のミイラ、子供に対する愛情である

都・テーベの役人。ミイラを解剖せずにCTにより

骨格や年齢・病名が解る。すごいですね。