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西方寺について

住職日記

春の永代経法要、亡き人とのご縁を通じて仏教のみ教えに触れる法要が実施されました。

コロナ禍がまだ消息しないなか、不安な生活を強いられたいる折、お参りしていただきありがとうございます

倉田先生からは「今、生かされている命、この命を繋ぐ命がある。

あなたのことを引き受ける仏がいる。南無阿弥陀仏 我に任せよ、必ず救う。

なむあみだぶつとこぼれる命。親の御心を聴く法座に出会う。仏になる教えを聴かせていただく。永代経法要の心」

4月8日 お釈迦様のお誕生日、花祭りでした。甘茶をかけるお釈迦さまがおられました。

 

 


桜満開の4月、南禅寺そばの蹴上インクラインから南禅寺裏山の山道、疎水に沿って山科の歩道、山越えから三井寺まで約13キロの行程を歩こう会の仲間と一緒に歩きました。

南禅寺傍の蹴上インクラインは京都の明治近代化の重要な役割を果たしました。高低差約36m 琵琶湖疎水の急斜面を船で運行するために敷設された傾斜鉄道ルートを歩きました。斜面の両側は桜満開。

この疎水の水をたどって山科~三井寺まで桜吹雪・黄色い菜種・杉木立の林間を黙々と歩きました。三井寺も桜に包まれ、はるか彼方に琵琶湖が望むことができました。

この疎水を計画した田辺青年や京都市長・西郷さんの子息さんなど、偉大な事業を推進した人々の思いを改めて知ることができました。


まだ肌寒い早春 西方寺彼岸法要が開催

コロナ禍のなか、本堂から中庭まであふれる大勢の人がお参りされました。

三蜜にならないように椅子の間隔を広げ、消毒をしていただきました。

お勤めの後、住職からの法話。前住職とウクライナの関係についてお話。

前住職27歳に召集、1年後満州国境にて終戦ののち、ソ連に抑留されました。

約4年間のシベリア・ウクライナ抑留生活ののち 無事に帰国。

厳寒バイカル湖付近での森林伐採・シベリア鉄道によりウラル山脈を越え、

ウクライナのマリウポリの近くザボロージェ(ヨーロッパ第一の原発)にて強制労働。

シベリア抑留の一番西側の地。マイナス30度 9月~4月までは厳寒期である。

俘虜60万のうち約10万人亡くなる。そのウクライナがロシヤにより悲劇が起こっている。

毎日 ニュースを見るたびに心が痛み何かできることはないか、一日でも戦争が早く終結してほしいと願うものである。父が生きていたらどのように思うだろうか。

厳しい寒さの中でも朝から夕方まで屋外の強制労働。食べ物は一日2回の豆いりのスープ、衣類は夏の軍服のみ。飢えと寒さによって多くの日本人が亡くなっていった。

土地は凍っていて遺体を葬ることもできなかった。父は強制労働の最中にビルの屋上からの高熱に熱したコールタールを頭から全身に被ったが、3~4月入院し、現地のウクライナ人の温かい看護によって回復したといっていた。この話からのウクライナ人の優しい国民性が伺える。

85歳にてシベリア・ウクライナ抑留記を書物として出版した。

いま改めて 父の書物を通じて平和問題を考えされられました。

今できることとして参拝者の方に募金をお願いして、これを赤十字募金に寄付して、

少しでもウクライナ援助活動になればと思っています。

境内の赤い椿、白いモクレン、尊き命が守られて、穏やかな日を送れますように、

幼い少女の願いのように阿弥陀様に手を合わせたいものです。