まだ肌寒い早春 西方寺彼岸法要が開催
コロナ禍のなか、本堂から中庭まであふれる大勢の人がお参りされました。
三蜜にならないように椅子の間隔を広げ、消毒をしていただきました。
お勤めの後、住職からの法話。前住職とウクライナの関係についてお話。
前住職27歳に召集、1年後満州国境にて終戦ののち、ソ連に抑留されました。
約4年間のシベリア・ウクライナ抑留生活ののち 無事に帰国。
厳寒バイカル湖付近での森林伐採・シベリア鉄道によりウラル山脈を越え、
ウクライナのマリウポリの近くザボロージェ(ヨーロッパ第一の原発)にて強制労働。
シベリア抑留の一番西側の地。マイナス30度 9月~4月までは厳寒期である。
俘虜60万のうち約10万人亡くなる。そのウクライナがロシヤにより悲劇が起こっている。
毎日 ニュースを見るたびに心が痛み何かできることはないか、一日でも戦争が早く終結してほしいと願うものである。父が生きていたらどのように思うだろうか。
厳しい寒さの中でも朝から夕方まで屋外の強制労働。食べ物は一日2回の豆いりのスープ、衣類は夏の軍服のみ。飢えと寒さによって多くの日本人が亡くなっていった。
土地は凍っていて遺体を葬ることもできなかった。父は強制労働の最中にビルの屋上からの高熱に熱したコールタールを頭から全身に被ったが、3~4月入院し、現地のウクライナ人の温かい看護によって回復したといっていた。この話からのウクライナ人の優しい国民性が伺える。
85歳にてシベリア・ウクライナ抑留記を書物として出版した。
いま改めて 父の書物を通じて平和問題を考えされられました。
今できることとして参拝者の方に募金をお願いして、これを赤十字募金に寄付して、
少しでもウクライナ援助活動になればと思っています。
境内の赤い椿、白いモクレン、尊き命が守られて、穏やかな日を送れますように、
幼い少女の願いのように阿弥陀様に手を合わせたいものです。