ウクライナ援助活動を熱心にされています、星野様から通信が送られてきました。
星野様は現地に行かれ、直接に現地の人々と交流を図り、援助活動を続けておられます。
現地の声「爆弾で目が覚めた。朝4時 爆発音で目が覚め、窓を開けたら家と車が燃えていました。すぐ、戦争だと 気づきました。 彼女のアパートは駅や軍の飛行場の近くだったので、まず狙われたのです。 隣の15階の高層アパートはミサイルで崩れ 私のアパートも上の階が吹く飛ばされました。生きた心地がありませんでした。」
赤松の中に村の役場はあった。2年前にロシアに占領された時、逃げずに立ち向かった村長に逢うことができた。道にはロケットの破片が転がり、林は焼けている。砲弾の発射音が轟く、村長は砲弾は気にすることはない。「着弾はこの先だからと、先を歩く。
ただしくれぐれも道からはみ出さないように」と注意を受ける。この辺りは砂地で道の脇に地雷の頭らしきものが見える。占領から解放されたが、まだ、手つかずの地域であった。冬はすぐそこまで来ているが、支援はなかなか届いていない」
西方寺では前住職がシベリア抑留され、一番西のウクライナに強制労働されました。
3年間の抑留生活ののちに無事に日本に帰国しました。そのウクライナではお怪我に会い、現地の人々の温かい看護によって命を救われました。そのおかげにより今回 ウクライナへの援助活動を続けています。まだまだウクライナの現状は厳しく、悲惨な状況が続いています。皆さんのウクライナへの援助活動へのご理解と、ご協力をお願いします。