冬野先生法話 「コロナ禍の中でいかに生きるべきか」
「何よりも 去年・今年老少男女おほくの人々の、死にあひて
候ふらんことこそ、あわれに候へ。ただし生死無常の
ことわり、詳しく如来の説きおかせおはしまして候ふう
へは 驚きおぼしめすべからず候ふ・・・
善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひと
疑いなければ正定聚に住することにて候ふなり」
文応元年(1260年)11月13日 善信(親鸞)八十八歳
親鸞聖人の御消息 『末燈鈔』より
全国的な大飢饉と悪疫に襲われ、そのため多くの死者がでた。
生死無常のことわり 「生まれたら者は必ず死す」の道理
親鸞存命中に年号を変えることが数十回繰り返されている。
それほど当時は大飢饉や悪疫に何度ともなく襲われていた。
それを現代と考えると昔と同じような社会不安である。
それをどのように考えていけばいいのか。
「生は当たり前、死はまさか」はそうだろうか。今日の一日の意味
「生はまさか、死は必然」とも考えられる。
生きるとは偶然である。私にかかわる命がある。
今日の一日の意味を考えることが大事
死と向き合っている人にとっては生は偶然、死は当たり前ではないか。
自分の命をどう思っていくのか、 が今大事である。
コロナの中で自分の命をどのように大切にするのか
大勢のお参りありがとうございました。