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西方寺について

住職日記

2021年11月9日

報恩講 心に残る法話

冬野先生法話 「コロナ禍の中でいかに生きるべきか」

「何よりも 去年・今年老少男女おほくの人々の、死にあひて

候ふらんことこそ、あわれに候へ。ただし生死無常の

ことわり、詳しく如来の説きおかせおはしまして候ふう

へは 驚きおぼしめすべからず候ふ・・・

善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひと

疑いなければ正定聚に住することにて候ふなり」

文応元年(1260年)11月13日 善信(親鸞)八十八歳

親鸞聖人の御消息 『末燈鈔』より

 

全国的な大飢饉と悪疫に襲われ、そのため多くの死者がでた。

生死無常のことわり 「生まれたら者は必ず死す」の道理

親鸞存命中に年号を変えることが数十回繰り返されている。

それほど当時は大飢饉や悪疫に何度ともなく襲われていた。

それを現代と考えると昔と同じような社会不安である。

それをどのように考えていけばいいのか。

「生は当たり前、死はまさか」はそうだろうか。今日の一日の意味

「生はまさか、死は必然」とも考えられる。

生きるとは偶然である。私にかかわる命がある。

今日の一日の意味を考えることが大事

死と向き合っている人にとっては生は偶然、死は当たり前ではないか。

自分の命をどう思っていくのか、 が今大事である。

コロナの中で自分の命をどのように大切にするのか

大勢のお参りありがとうございました。