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西方寺について

住職日記

2022年12月24日

シベリア抑留「ラーゲより愛をこめて」を鑑賞して

私の父も戦後シベリア・ウクライナに抑留。3年の抑留ののち、帰国した。

大戦後、約60万人の日本人がシベリア・ウクライナの強制収容所に不当に抑留された。あまりにも残酷な日々に誰もが絶望する状況下において、生きることへの希望を捨てなかった人物がいた。

零下40度を超える厳寒のシベリアで死と隣り合わせの日々を過ごしながら、家族を思い、仲間を思い、希望を胸に懸命に生きる男が実在した。

「生きる希望をすててはいけません。帰国の日は必ずやって来ます」

強制収容所の劣悪な環境により栄養失調で死に逝く者。

仲間思いの行動とその力強い信念で多くの抑留者たちの心に希望の灯をともした。しかし、山本は病魔に侵され帰国はできなかったが、彼の思いが家族のもとに届けられる。

父は84歳の時に過酷な抑留生活を本に著した。

シベリア・ウクライナ抑留記「命めぐまれ、今を生きる」94歳に亡くなった。今年で10年である。まさに父の本の記述と同じである。厳しい抑留生活と強制労働。仲間が次々に亡くなっていく。希望を捨てずに、家族への思いを強く持って耐え忍び、無事に帰国した。

遺書を記憶したように、筆記用具なし、日時もわからないない中で、84歳にて、鮮明に当時の思いを書いた。戦争の悲惨さ・平和への強い思いを多くに人に知ってもらいたかったと思う。11月に父が帰国した舞鶴港を訪れた。父は舞鶴港への帰国、その時の喜びは一生忘れることがない感動であったと記している。

父はシベリア抑留の一番の西、ウクライナに抑留。原発の都市、ザボロージェで抑留を強いられ、最後の帰国者であった。ザボロージェでは生死を分ける大事故に遭遇するがウクライナ人の温かい看護によって命は救われた。ウクライナの温かい国民性は忘れてならない。 ぜひ この映画鑑賞を通じて、「辛く、悲しく、苦しいこともありますが、未来に向けて人間にとって大切なものは何かを教えてくれるものがある」と思います。

「 ラーゲより 愛を込めて 」  映画を観てください