西方寺について

西方寺について

西方寺について

  • 夕日が美しい二上山を望む西方寺
  • 親鸞の心のふるさと
  • ふと手を合わせたくなる浄土教の原風景がある

古都 奈良の当麻の里、良福寺は『往生要集』を著した源信誕生の地といわれ、古来より神仏の山と崇められた二上山の夕日が最も美しい田園地帯であり、浄土教思想に思いを巡らす、のどかな香り漂う風景があります。五木寛之氏の小説『親鸞』にも、親鸞が二上山の夕日のすばらしさに感動し、お念仏を唱えるという表現が記載されています。

その山麓に位置するのが良福寺奥院西方寺です。この地が良福寺という地名から古来、いくつかの寺院が創建されていましたが兵火や災害などにより荒廃し、西方寺のみが残存したと伝承されています。その後、鎌倉時代に真言宗寺院として、人々の信仰のよりどころとして発展しました。

江戸時代、この地方は大和郡山藩領となり、西方寺は村の惣道場として篤い信仰心に支えられてきました。江戸初期、郡山藩主、本多氏の菩提を弔うために勘定奉行西本諦順が西方寺に入寺し、浄土真宗に改宗して初代住職となり、現在 第14世 西本諦雄(辰雄)が住職を勤めています。

loading